写真╠九份景點╣黃金山城的人文軌跡。金瓜石山神社-黃金神社@寰兒-寰兒的執著日記-iPeen 愛評網 より
明治日本の産業革命遺産をユネスコの世界文化遺産に登録しようということで、お隣さんの反対もありながら色んな意味で盛り上がっていますね。中々馴染みがないかもしれませんが、意外なところに立派な遺産が残っていたりします。
目次
これぞ明治の底力
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九份といえば千と千尋の神隠しで有名な台湾の名所中の名所ですが、すぐそばにはあまり知られない明治の遺産があります。実は九份の今日の栄えようもその明治の遺産があってこその繁栄だとも言えるものです。
金瓜石ってなんだ?
九份に行くには『金瓜石』と書かれたバスに乗ります。九份があるのは金瓜石と呼ばれる場所にあるからです。
九份がある金瓜石という山は昔は今より80mも高かったそうです。以前は山頂に直径100m近い岩山があったそうで、その岩の形が爪の形に似ていて金も含まれていたことから金瓜石と呼ばれそのまま地名として残っているんだそうですよ。
九份に行くならここも見て『黄金博物館』
九份に行くなら絶対に寄ってほしいところがあります。それは『黄金博物館』と呼ばれる場所です。
そこでは、当時東洋一と呼ばれた鉱山の生活の様子や古き良き日本の建築や暮らしぶりが見ることができます。
こういうことを遠く台湾の皆さんが保存して観光資源として活用してくれていることは本当に嬉しく思います。台湾人の心意気に応えるという意味でも是非行って見て下さい。
ちょっと台湾風にアレンジされた部分はありますが、それもご愛嬌。楽しめますよ。
メインはここ!黄金神社は必見!
黄金博物館まで来たなら忘れてはいけない隠れた名所があります。正式に金瓜石神社と呼ばれますが昔から黄金神社や山神社として親しまれてきた神社の旧跡は見て帰ってきてください。入り口は黄金博物館の敷地内にあります。一切お金もかかりません。必要なのはちょっとした山登りの体力だけです。
鉱山開発時に使っていたトロッコだってそのまま残っています。軍艦島のような物々しい雰囲気はないですが、立派な明治の遺産です。
太子賓館というのも、当時の皇太子、後の昭和天皇のために当時の職人が持てる技術を全て使って建てた見事な建築物です。残念ながら皇太子がいらっしゃることはなかったそうですが、一見の価値ありです。
黄金神社まで600mとありますが、ちょっとした山を登るので少しだけ体力が要ります。といっても10分程度はぁはぁいいながら登るぐらいのものです。スーツケースもって成田まで行く方が10倍きついです。はるばる台湾に来るだけの根性がある人はどなたでも辿り着けます。
先ほどの看板から数メートル階段を登っただけでこんな景色。山の上なので見晴らしが最高です。
最初はぎょっとするかもしれませんが、まぁまぁすぐ着きますから。
ほうほう、こんな風になってるのねーなんて見物しながら登ります。あっというまです。
軽くスルーされていますが、これすでに黄金神社の遺跡です。おーい、みんなもっと感動してくれよー!ロマンを感じないかい?
最初の鳥居です。神々しいです。それもそのはずこの写真2015年1月1日に撮影しましたので、なんとこれが初詣になりました。
どんどん登ります。石灯籠と山の景色がまるで日本にいるかのような気分になります。
さっきくぐった鳥居があんなに小さく見えます。本当に600m?と疑いたくなりますが、我慢我慢。先へ進みます。
いいでしょう?そろそろ本殿が近づいて来ている感じがします。
余裕が出てきたら、隣に見える茶壷山なんかをみたりして一呼吸しましょう。金瓜石は山頂が金の爪に見えるやまですが、茶壺山は山頂の岩が茶壺に見える山です。
あれかな?確かに急須っぽいかもしれません。
むむっ!あれが本殿ですな。もうすぐ拝めます。
ちなみにこちらが在りし日の明治時代の黄金神社の様子です。写真はwikipediaより
ひっそりと佇んでいるかと思いきや、参拝客は結構多いです。元日だからでしょうか。
鳥居脇には神社の説明書きもあります。
残念ながら今は神社の基礎部分のみ残っている状態です。変にピカピカの神社を再建するよりこのままの保存状態が趣きもあって良い感じがします。パルテノン神殿のように見えなくもありません。
社殿はありませんが、歴史を感じることができます。
かつてはここで盛大なお祭が行われていたそうです。炭鉱夫や地元の住民が疲れを忘れて騒いでいた明治の様子を思い浮かべると泣けてきます。
お賽銭でしょうか。赤い空き缶にお金が入っています。おそらくお賽銭箱だとか社殿だとか信仰の対象になるようなものを残しておけない事情があるんだと思います。
各地にあった神社が取り壊される中、何とか政府を言い聞かせるためにあれやこれやと理由をつけて完全な撤去を免れた神社ですから。他の神社は孔子廟や忠烈祠になったり、完全に形を失くしたり色々です。
台中神社は鳥居を復権しようと市長が頑張っているそうですが、沖縄の龍柱のことを思うと心中複雑です。
黄金神社の境内跡から見える景色は絶景です。ここまで登ってきた甲斐があります。
今も残る当時の精錬場
マチュピチュの空中要塞のような遺構は当時金瓜石で大量に採れた金銀胴を精錬した場所です。田中組、藤田組から現ジャパンエナジー(当時の日本鉱業株式会社)が買収し巨大化し続けた鉱山はここまで成長したのです。
時代を駆け抜けた鉱山の沿革
清朝統治時代
1890年 - 鉄道橋工事中に基隆川で砂金が発見される。
1892年 - 清朝が基隆金釐砂局を設置、砂金収集に訪れる人々に許可を与え税を徴収する。
1893年 - 隣の九份で金鉱脈が見つかりゴールドラッシュが始まる。 1894年 - 続いて金瓜石でも金鉱を発見。
日本統治時代
1895年 - 下関条約により、台湾が大日本帝国の統治下に編入される。
1896年 - 金瓜石鉱山が東京の田中長兵衛の所有となり、田中組が組織され採掘に当たる。
1905年 - 金銀、豊富な硫砒銅鉱を含む第一長仁鉱床が発見され、次第に銅の採掘が増える。
1913年 - 金瓜石と並び台湾三金山の1つと称された牡丹坑鉱山を田中家が買取り、金瓜石鉱山に合併させる。
1918年 - 田中鉱山株式会社に経営権を委譲。
1922年 - 翌年の皇太子(後の昭和天皇)行幸を控えて太子賓館が建てられる。
1925年 - 11月、経営権が後宮信太郎の金瓜石鉱山株式会社に継承される。
1933年 - 日本鉱業株式会社が経営権を買収、この年黄金神社が建立される。 中華民国統治時代 1945年 - ポツダム宣言により、台湾が中華民国の統治下に編入。中華民国政府は金瓜石を没収、金銅鉱務局設立準備処が設立される。
1955年 - 金瓜石鉱山が再編成され台湾金属鉱業股份有限公司(台金)が設立される。 1973年 - 台金公司が多角化経営に乗り出し禮樂錬銅工場を設立。
1985年 - 台金公司が廃業を決定。
1987年 - 金瓜石鉱山閉山。
現在
2004年 - 金瓜石鉱山の記念館、金瓜石黄金博物園区がオープン。
鉱山で働いた人たちの中には日本人はもちろん、台湾人、中国大陸からの出稼ぎ労働者、戦争末期には労働力不足からシンガポールの英国人捕虜までいたとされます。
もしここが世界遺産になるような時にシンガポールやイギリス人、台湾人が韓国と同じような理由で登録に反対するのかちょっと見たい気もします。
行きたいけどどうやって行くの?
とりあえず忠孝復興駅までMRTで行きます。
忠孝復興駅についたらバス停に向かいます。旧乗り場と新乗り場があるので気をつけて下さい。
1062番の金瓜石行きにのれば、大丈夫です。九份までは102元、金瓜石までは115元です。所要時間約2時間です。MRTやバスに乗る前に『悠遊卡』を購入しておくのをオススメします。台湾のSuicaのようなものです。お金を入れておくと買い物や乗り物に乗るときに利用できます。
上級者ならタクシーを
中国語ができたり、台湾の友人と一緒なら断然タクシーをお勧めします。往復250元でいけて、時間も1時間10分~1時間半程度でいけます。
忠孝復興駅の1番出口を出たら乗り合いタクシーの客引きが声をかけてきます。町で普段乗るタクシーと同じタクシーです。間違っても普通の乗用車に乗ってかないで下さい。
4人~6人の相乗りなので、安心です。女性一人でタクシーに乗るのはやめましょう。タクシーの運転手も山の中を何時間も走っていると変な気を起こす人もいるので、自分の身は自分で守りましょう。悲しい事件は過去に何件かあります。
更にちゃんと意思の疎通が出来て、金銭トラブルも心配ないという自信があるなら、一日2000元程度払ってタクシーを貸切るのが一番楽しめます。4~6人で割るので500元程度で九份はもちろん、周辺の観光地を見て帰ることができますよ。あらかじめ信頼のできるドライバーと知り合いになっておくことも大事です。日本語が出来る運転手も多いので、最初から貸し切る予定ならホテルに手配してもらうこともできるでしょう。
笑える程度のトラブルならそれも旅の醍醐味なので楽しみましょう。台湾に残る素晴らしい日本の遺産を楽しんで帰ってきてください。